でるふぃすぶるー!

ダイビングとオーガニックで美しい人生を送るブログ

夢を見つけるのは何歳だっていい

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少し、お話したいと思います。

 

わたしもずいぶん長い間、悩みがありました。

あった、というより今もたまに「悩んでるなぁ」思うことではあるのですが。

 

自分とは何者か。

何のために生きているのか。

 

将来のことは何も考えられない。

わたしもそういう思春期を例外なく通ってきました。

規制されるのが嫌で、どうしたらいいかわかりませんでした。

 

でも今は違います。

自分をもっと出していいということがわかってきました。

今まで見てきた世界が小さな籠の中だけだったと思うようになりました。

もっと知りたい、もっといろいろな世界を見てみたい。

 

ありきたりかもしれないけど、そう思えるようになった20代後半女子のお話です。

やりたいことが見つからない10代

「やりたいことってなんだろう。」

10代の時は全然わからなくて苦しかったなぁ。

 

将来の夢があるのが当たり前みたいな教育で、それは小学校も中学校も高校も。

大人にはどんな世界があって、どんな仕事があって、キラキラしてる人がたくさんいることをもっと学校で教えてもらいたかったですね。

 

「夢をかなえるために勉強頑張りましょうって、漠然としすぎでしょ」

と、幼いながらに思っていました。

 

じゃあ「その夢にはどんなものがあるんですか、教えてくださいよ先生」って感じでしたね。

とにかく反抗しまくりの青春時代を過ごしました。

大人がとにかく嫌いでした。 

 

過敏性腸症候群

中学生の時に過敏性腸症候群というものになりました。

学校にうまくなじめなくて、毎日登校中と家に帰る途中にお腹を下していました。

 

女子特有のねちっこい陰口とか、そういうのがやっぱりあって、特に先生に対してひどかったんですね。

博学ですごい面白い人だったのに、(理由はよくわかんないけど)みんなの標的にされちゃって教師を辞めてしまった先生がいました。

すごい好きな先生だったからショックだったなぁ。そういうのが多くて。

学校行くのとにかく嫌でした。

仲の良い子も何人かいたけど、同じようにうまく学校に馴染めていない子たちでした。

なんで嫌々学校行かなきゃいけないかわからず。

でも「高い学費を払ってくれてる両親にもなんか申し訳ないみたい」のもあって板挟み。

家に帰るのもお腹が痛かったです。

 

楽しければそれで良い時代

高校生になって、ちょっとだけ大人になって、バイトもできるようになって、少し元気になりました。

高校では男子のサッカー部のマネージャーになりました。

 

やっぱりわたしは女子の集団は苦手なようです。

サッカー部のみんなのおかげで毎日楽しくて、引退まで続けることができました。

そして無事に高校も卒業できました。

サッカー部じゃなかったら高校辞めてたと思います。

 

男子って女子とはちがくてねちっこくないんですね。

喧嘩してブチギレしても次の日には笑ってる。

そういうのが居心地が良かったんです。ありがとうみんな。

 

でも卒業したら、また何を楽しみにしたらいいかが見つからなかったです。

とにかく飲んだり騒いだりして、その日その日をなんとなく過ごす毎日の繰り返しです。

進学はしたのですが、バイトを始めたらそっちの方が楽しくて。

学校には毎日通って成績も優秀だったのですが、

ある時一回だけ、サボって江ノ島行ったんですね。海を見に。

そしたらなんか、学校行ってるけど将来見えないし、なんかつらくなって次の日から学校行けなくなっちゃいました。

 

でも不思議とバイトは行けました。

バイトは楽しかったです。少し自由になった様な気がしていたのかもしれません。

 

躁鬱(そううつ)

同じところで2年くらい働いていました。

上司や同僚にも恵まれて、とても楽しい職場でした。

が、拘束時間がすごい長かったんですね。

 

全然遊べなくて、でも無理して遊んでたら、ある日突然 声が出なくなりました。

 

感情の浮き沈みがとんでもなく激しくなって、仕事に復帰しようにもできなくなって(声も出ないし)、親に内緒で会社辞めました。

社員になったばっかりだったんですけどね。

辞めますって会社に報告して数日したら、声がまた出るようになりました。

 

ちょうどそのころ、慕ってた上司が異動になったのも大きな要因だったのかもしれません。

仕事はバリバリできて、でもちょっとサイコパス野郎みたいなところがすごい尊敬できる人でした。

異動した後も、わたしのことを気にかけてくれました。感謝。

 

それで、友達に連れられて病院行ったんですね。

躁鬱です と書かれた診断書を貰いました。

 

…なんですか躁鬱ってw

 

先生に説明してもらうと、

「とってもハイな時と、とっても闇が深いときが交互に訪れる病気です。」

だって。

 

なるほどそういうことだったのか。これって病気のせいだったのか。

しばらく休みなさいと言われました。

 

没頭したらポジティブになっていった

休みなさいと言われても困りました。

晴れて上京して1人暮らしをしていたので、休んでたら生きていけません。

しかも何もやらないという事に対しての罪悪感といったらもう凄かったです。

自己嫌悪が。

 

だから遊ぶのも控えて、とりあえず新しい仕事に没頭することにしました。

わたしの場合は、それがよかったんですね。

仕事以外のことを考えないようにしてたら、とても気が楽でした。

とにかく新しい仕事は楽しくて、他の余計なこと考えなくなって、病気も落ち着いていきました。

 

この時のことを今振り返って思うことがあります。

仕事じゃなくても、やってみたいことがあったらやってみたらいい。

旅行でも編み物でもゲームでもなんでもいいのです。

オタクになれるくらいやってみると、何かが変わってきます。

そうしたら、今度はもっとちがうアレをやってみたいなぁ、という風に

ちょっとだけ前向きになれるんですね。

楽しいことをするって、それだけで元気になれます。

最高に楽しい毎日を送るためにするべきたった一つのこと

 

小さな成功が大きくなってく

接客しかやったことなかったので、どうせなら接客を極めようと考えました。

どうしたらお客さんが喜んでくれるかな。

また来てくれるかな。

買ってくれるかな。

 

かゆい所に手が届く気遣いみたいなのを、その時に学びました。

もちろん仕事上のことでしたので、日常的に気遣いできるかというとハテナ?な部分ではありますが。

 

知らぬうちにお客さんからも従業員からも愛されるキャラになりました。

なんか知らないけどよく笑うようになりました。

わたしはとにかく笑いのツボが浅いらしいのです。

 

笑ってるとみんなも楽しそうです。

それがわたしにとって、小さい成功みたいなものでした。

自分が楽しいだけなのに、なぜかみんなも楽しんでる。

「なんて良い特技を見つけたんだわたしは!」って思いましたね。

 

結局、そういった小さな成功や、小さな楽しみがあると、今度はもっとおもしろいことやってみようって前向きな気分になるんですね。

 

嫌なことは極力避けて、他の人にやってもらえばいい。

 

自分が嫌だと思うことも、他の誰かには得意で楽しいことだったりするものです。

無理にやり続ける必要はないんだ、とわかってきた20代前半。

 

自分が何者かわからなくなる理由

周りの人の目を気にし過ぎていました。

自分で自分を押さえつけていたんでしょうね。

 

周りの期待に応えようとして頑張って、自分がこうしたいと思う方向とは違う方向に進んでいました。

 

誰かのために頑張るんじゃなくて、自分のためにやる。

自分が楽しいからやる。先にそっちが大切なんだなって今は感じています。

自分が楽しかったら、自然と周りの人も楽しい。

そういう人が不思議と集まってくる。

 

誰かのために自分を騙しながら過ごしてると、気づかないうちにちぐはぐしてきて、わけわからなくなります。

 

きっとこれからどんどん、

『誰かのために自分を犠牲にするのは古い考え』って言われるようになります。

 

誰かのために頑張るのはもちろんすごく良いことです。

でももっと大事なのは、それで自分を犠牲にしちゃいけないってこと。

 

嫌なことは嫌だって言いましょう。

ちょっと違うんじゃないか?って思ったらそれを言葉にしましょう。

きっと一緒に考えてくれる人が、自然と集まるようになってくる。

すごい極端ですが、友達や上司の言うことに全部従う必要は無いと思うんです。

 

不満を溜め込むと、いつか感情が爆発する

我慢するのが普通になっていると、だんだん病んできます。気持ちが塞いできます。

 

そういう時って

「あれ、思ってることと違うぞ!なんかおかしいな!」

って無意識に気づき始めたサインなんです。

 

じゃあ、本当はわたしはどうしたいんかなって一旦立ち止まって考えてみます。

「ああ、この人とは考え方がちょっと違うんだな。」

「仕事は好きだけれど、職場の人間関係が窮屈だな。」

「友達と絶交したけど本当はやっぱり仲直りしたいな。」

とか、そういう気持ちを自分で再確認してあげます。

 

あとは、ちょっとだけ勇気を持って言葉にする。言葉にしないと誰にも伝わりませんから。

「わたしはこういう風に思ってるんです。聞いてくれますか?」

ってね。

 

そしたらきっと、何かが変わる。

そうしなきゃ、何も変わらない。

自分だけがどんどん苦しくなるだけです。

 

焦る必要はない アラサーになってから夢を見つけた

10代然り20代前半(つい数年前です)まで、わたしはこのことに気づきませんでした。

他人の意見に左右されっぱなし。流されっぱなし。

誰かのために生きるのが自分の生きる道だと思っていました。

 

でも遅ばせながらやっと気づくことができて、自分の時間をゆっくり持とうと決めました。

本当に、この人生は一回きりしかないんだからもっと楽しもうと。

 

それを気づかせてくれた海のお話はこちら

慶良間でのダイビングはわたしの人生を変える旅だった話

 

では、最高に楽しい人生だったと思えるようにするにはどうしたらいいのか。

 

やってみたいことをやろう。

わたしの場合、それがこのブログで、ダイビングで、旅行で、好きなアーティストライブに行くことです。

 

最高に楽しいこと。これって未知数!

まだまだ知らない事がこの世の中にはたくさんあるのです。

見てみたい景色もたくさんあります。

そう考えるともうワクワクがとまりません。

 

お得な旅行の仕方や、楽しいことを極めるやり方はまだ全然わからないけど、わからなければ聞けばいいのです。

教えてくれる人が近くにいなかったら、探せばいいのです。

この世界、ただの一般人でも5人伝っていけば誰とでも繋がれるらしいです。

 

何歳だって遅くない。気づいた時が新しい人生の始まりなんです。

 【2018年1月16日の記事を書き直しています】 

www.delphis-blue.com